山上容疑者、鑑定留置終了 宗教報道でいつも思うこと
安部晋三元首相が奈良市で銃撃され死亡した事件で、殺人容疑で送検された山上徹也容疑者の刑事責任能力を調べる鑑定留置が10日、終了し、身柄が奈良県警奈良西署へ移送される模様がテレビで流れていました。
皆さんもご存知のようにこの事件は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が絡んだ事件であります。
こういった宗教がらみの報道を見ると、いつも嫌な気持ちになります。
人が精神的に弱っているときに不安を煽るような言葉で、お金を差し出すように仕向けたりして、その人の人格、人生を滅茶苦茶したという話を耳にすると、心が痛くなります。
図式的には、信者さんが与える側、教祖がもらう側です。
もらっている側が偉そうに踏ん反りかえっているなんて“絶対おかしい”といつも思ってしまいます。
でも、まわりを見回してみると同じような図式は存在しています。
“優しい人”、“物わかりのいい人”が合わせてあげているにもかかわらず、合わせてもらってる人は当然とばかりに振舞っているのをかなりの確率で見かけます。(私のまわりだけか?)
そういう方々も自分の本当のポジションに気付いてほしいと思います。
自分を自分で肯定し、自身を安全圏に置いているつもりでいるようですが、まわりが合わせてくれなくなったら、おしまいです。
自分の世界からでて、客観的に人や物事を見てほしいと思います。
まあ、私も偉そうなこと言ってないで、人間としてのお勉強をしていかなければなりませんね。人として、まだまだですので。
最後までお読みいただきありがとうございました。
【ずっときっと】すみや八澄
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